瓜田純士の父は元暴力団総長の瓜田(遠藤)吉寿!現在はスナック経営者!

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元アウトローのカリスマの異名を持つ瓜田純士。

顔も含め全身にタトゥーが入っていて、過去には暴走族という過去を持っていますが、実は父親ゆずりなことが分かりました。

父親は、元暴走族のブラックエンペラーの2代目総長だったようです。

今回は、瓜田純士の父親の現在や過去のエピソードについてご紹介します。

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目次

瓜田純士の父は現在スナック経営者!

こちらが瓜田純士の父親の瓜田吉寿(うりたよしはる)さんです。

新宿出身で、1955年4月生まれ。

2023年現在の年齢は68歳です。

瓜田純士のYouTubで親子対談動画を挙げていましたが、瓜田純士が終始、父親に対して敬語で話しているのを見ると、かなり威厳のある父親のように見えましたね。

瓜田純士と対談する動画では、かなり社交的な優しいお父さんに見えますが、実はぶっとんだ過去をお持ちのようです。

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瓜田純士の父は元暴力団総長だった!

以前は暴力団に身を置いていた瓜田純士さん。

実は父・吉寿さんも暴力団に所属していた過去があるようです。

父親は元暴走族総長

こちらの画像が瓜田純士さんの父・瓜田吉寿(遠藤吉寿)さんの若い頃です。

瓜田姓と遠藤姓を名乗っていますが、遠藤は旧姓で、父親が亡くなった時に瓜田に改名しているそうです。

父・吉寿さんは、有名な暴走族伝説の暴走族『ブラックエンペラー』に所属していました。

ブラックエンペラーとは1960年~1990年にかけて活動していた暴走族

全盛期の1970年代には約2000人のメンバーが在籍し、関東一円を暴れまわっていたそうです。

当時は毎週土曜日に集会を行い、夜の街をバイクで走ったり、喧嘩に明け暮れていたのだとか。

「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」という、BLACK EMPERORを基にしたドキュメンタリー映画も作られたほど、有名な暴走族だったようですね。

そして、「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」の映画では、瓜田吉寿さんが主演を務めていたそうです。

その頃に在籍していたのが瓜田吉寿さんでした。

瓜田吉寿さんは、そんな伝説の暴走族チームであるブラックエンペラーの創設者の1人でもあり、2代目総長を務めていました。

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暴走族の後は暴力団へ所属

伝説の暴走族チームの2代目総長をしていた瓜田吉寿さんでしたが、ブラックエンペラーを辞めた後は暴力団に所属しました

住吉会系大日本興行の組員だったようで、は数十年は暴力団の構成員として活動していたようです。

瓜田純士さんが暴力団に入った後に暴力団の一員として再開しているため、その頃までずっと籍を置いていたということになりますね。

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瓜田純士の父の現在はスナック経営者!

長年暴力団に所属していた父・吉寿さんでしたが、2014年頃に引退をしていることが分かりました。

住吉会を引退した時には、「肩の荷が下りた」とも語っている父・吉寿さん。

引退するまでは立場上大変なことも多く、引退したことでやっと落ち着けるようになったのかもしれません。

現在は千葉県でスナックを経営しているそうです。

父親も過去に「俺たちには土曜しかない」という著書を出版しています。

過去には本の出版もしていた

瓜田吉寿(遠藤吉寿)は過去の自身の活動を書籍化。

「俺たちには土曜しかない」という本にまとめていて、ここでは暴力団時代の過去が色々と綴られているようです。

瓜田純士も本の出版を何冊か出されていますが、父の姿をみて自然にまねしたのかもしれませんね。

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瓜田純士は父親と偶然歌舞伎町で再開していた!

瓜田純士が子供の頃は、瓜田吉寿さんはほとんど家にいなかったそうで、ご自身でも

「親父としては、普通の家から比べたら本当にどうしようもない父親だった」
「子供には不憫な思いをさせた」

と述べられています。

家に帰ってくるのは年に一度ほどだったようで、嫁がいるにも関わらず外に女性を作っていたようで、それもあってか家に帰ることは少なかったのだそうです。

瓜田純士は母親と、旦那の実家で生活を送っていたようで、母親は精神的に参っていたのだとか。

この時の状況も、瓜田純士のYouTubの対談動画内で語られていましたが、当時の自分を振り返り、妻に感謝の意を述べられていました。

そしてこの頃に、瓜田純士は父親を知りたくて家のものを色々と漁っていると、過去の父親の著書「俺たちには土曜しかない」や、

ブラックエンペラー時代のドキュメンタリー「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」が見つかり、憧れを抱くようになります。

その後、瓜田純士が小学校6年生の頃に両親が離婚し、瓜田純士は父の瓜田吉寿と会うことはなくなってしまったんだそうです。

暴力団へ加入後、瓜田吉寿と再会

瓜田純士は17歳で暴力団に所属し、18歳のとき歌舞伎町で偶然父親と再会します。

互いに別の組織の一員として活動していたようで、すぐに連絡先を交換。「夜に出てこい」と言われ、飲み屋で語り明かしたのだそうです。

瓜田純士は瓜田吉寿と再会して以降はたまに会うような関係になり、そこで知り合った人たちから父親が有名な存在であることを知ります。

このときは普段は口もきけないような上の幹部の人たちが瓜田吉寿(遠藤吉寿)の息子というだけで声をかけてきてくれたようで、「守ってくれていたのかな?」と父親の愛を感じたのだとか。

暴力団として活動していた頃、瓜田吉寿がトラブルを起こすと子供の瓜田純士にも飛び火していたようで、追い込みをかけられることも多かったため、

「あんなの親じゃねえ」と口にしたことがあり、一時は父親との仲は最悪なこともあったのだそうです。

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瓜田吉寿は子供思いの優しい父親だった

瓜田純士が切腹したときには病院にまで駆けつけてくれたようで、一時はいがみ合っていた関係ではあったものの、子供への思いは強かったようです。

俺が切腹してICUにいたときも、お袋は俺が死ぬと思ったらしく、誰に相談していいかわからずに別れた親父に連絡を取ったら、親父は病院の近くまで駆けつけてくれたそうで。

引用:サイゾー

また、瓜田純士が過去に路上で刺されてしまった時も、父の瓜田吉寿が裏で色々動いて彼を助けてくれたというエピソードもあるそうです。

長年、離れ離れになっていた親子ですが、やはり瓜田吉寿さんも子供のことはいつでも可愛い存在なんだと思います。

瓜田親子の絆の強さを感じますね。

まとめ

ここまで瓜田吉寿(遠藤吉寿)について経歴や家族、現在についてまとめてみました。瓜田吉寿(遠藤吉寿)は過去にブラックエンペラーという暴走族で2代目総長を務め、その後は暴力団員として活動していました。

現在は暴力団を引退し、カタギとして生活を送っています。今後は穏やかな生活を送ってもらいたいものです。

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